史上最強の不況!!と言われている今日この頃。
私たちの業界は、どう戦えばいいのかしら・・・?
いつもなら忘年会の予約が沢山入る時期なのだけれど・・・
何組かの予約は頂いております。ありがとうございます。
不況と言いながらも安売り合戦は、なお更不況に成ると私は思う。
人間て、美味しいものを食べる時と髪・顔などのお手入れをしてもらう時が至福の時!!
女性は特に その傾向有りと思う。
最近の連休など、正にそれを感じます。
中年のご夫婦が遠方から鱧料理を食べに来てくださるのです。
中々、微笑ましい光景です。
「お天気だったので、美味しいもの食べに行こう!」とふらっと出てきたのよ。
と話してくれた。
思えば私はお客様達のような幸せは有っただろうか・・・?
この様な事を考える暇も無いほど 走り続けた人生だった・・ですね。
でもね!
遠方からご来店くださるお客様の笑顔に会え
美味しかったと声を掛けてくださる明るいお声を聞くと最高の幸せを感じています。
やはり私はこの仕事が好きなんだ!と感じています。
お客様の喜んでくださるお顔が大好き!!
これからも今まで以上に頑張ります。
人恋しい寂しがりやの女将です。
皆さん来てね!!

      秋晴れに 人を恋しい 風が吹く  

「三斎蛸・石垣しゅうまいは いかがですか?」
鱧・蛸・イカ・ベタ・鯒・アサリ…などなど。
中津地方の前に広がる周防灘は豊饒の海!!
嘗ては、ふぐ漁も盛んで 氷詰めにし鉄道の貨車で
博多や大阪・東京など遠方まで送っていたと聞いています。
船町、船場町、古魚町、新魚町、魚の辻…と、
海にちなんだ町名や地名が今も城下町の一角にある。
処で、その昔。漁民たちは殿様の名のついた蛸壺を大事にし
蛸壺漁をしていた。その名は『三斎蛸壺』
三斎とは、戦国武将で利休の七哲の一人と言われる文化人。
細川忠興の事。
関ヶ原の戦いの後、息子・忠利と共に
京都丹後の国 宮津から 豊前の国 小倉、中津に移り三十年余り領有した。
その後 忠利は熊本。忠興は八代に。
忠興は中津の漁民の事が忘れられず 赤土で焼いた蛸壺を一千個送った。
と言い伝えられている。その蛸壺がこの中津の地方で活用されたそうです。

そんな昔話を思い出して…新メニューを作ってみました!!
『三斎たこ 石垣しゅうまい』味わってみてください。
ガラジャ婦人の夫 忠興(三斎)の顔が浮かんできそうですよ。
歴史ロマンを隠し味にしてみました。

お盆!!若い頃は このお盆と言う事は、ただ…盆踊りがあって、お墓参りに行って、実家の仏壇に手を合わせて、と言う 淡々とした行事だけで…
深く考えてなかった気がします。
昔からの先祖を大切に想い 年に一度 家に迎え ご馳走をお供えして…
この行事や想いが お盆なんだ!と感じてきたように思います。
今年は…
私も年を重ねたせいか、色々な思いにひたっております。
来店されるお客様のほとんどが、家族づれで、遠方から帰ってきた子や孫やそのお嫁さん達と楽しそうに食事をされていました。
その光景を見ていると なんだか心がほのぼのとして、私まで嬉しくなりました。
我が家も息子夫婦が兵庫県から帰って来ました。
朝の食事などが 大賑わい!!8人分の食事の用意となると炊事場は…
しかし、何とも言いようの無い満足感!!(この感じ 分かってくれるかな〜?)
お盆、お正月があればこそ 家族の絆が保たれてるんだなあ〜と。
遠く離れた身内と会える、唯一の行事なんだ!改めて感じた夏でした。
又、盆踊りの輪には 懐かしい 顔!顔!顔!!…
とても 嬉しかったですね。

『送り灯も 子供も家路か ひとり膳』
                         清美。

今年の梅雨は 中々明けませんね〜
でも、この梅雨の水をくぐって『鱧』は美味しくなるといわれてます。
先日の7月18・19・20日の三連休!!
全国各地から鱧を食べに来られました。時間帯によってはお席が無かったり、かなり時間がかかったりで、ご迷惑お掛けしました。ごめんなさい。
なぜ中津の鱧は人気があるのでしょう!?
私が何時もお話させてもらってます 豊前海の干潟のお蔭です。
この干潟には貝類を始め、4百種類もの微生物が住んでいるとの事
鱧やカレイ、キス、など・・色々な小魚達は、これらの微生物や貝類を栄養としスクスク育つのです。その中で代表する魚が『鱧』です。
中津の鱧の歴史は・・・
4百年の昔 黒田公の時代から食していたと言う!
(古文書に書かれています)
この時は『鱧の粕漬け』の事をかかれてました。
私の店でも この粕漬けを再現し 全国発送を致しております。(要・予約)
食の観光には柱と成る魚が必要ですよね!!
美味しい小魚が鱧料理のお供として花を添えています。
山国川のミネラルたっぷりの水も 大きな役目となっております。
その産物が 豊前中津の『つの字鱧』・・・(商標登録済)
(トロ箱に入れて尾の方が つの字に曲がる位の大きさの鱧の事)
その大きさの鱧が一番実っていて美味しいのです。
他に・・夏のタコ・・細川忠興公が 蛸壺を考案しタコ漁をしたのがきっかけで、
沢山のタコが獲れたそうです。三斎?ダコ!(忠興公の別名)と言われております。
処で、中津は綺麗な女性が多いと思いませんか???
鱧の話で言い忘れましたが・・・魚のコラーゲンは肌にとても良いそうです。
小魚や貝類・鱧を食べて育ったお蔭で お肌 ツルッツル!の女性が多いのかも。
コラーゲンたっぷりの鱧を食べて この夏を乗り切りましょう!!
ちなみに 私は元気いっぱいで『鱧音頭』を踊っております。
まだ 鱧を食べてない方 食べてみたいなぁと思っている方々
どうぞ 一度中津へお出かけ下さい。お待ちいたしております。
「うとまれし  又、喜ばれ  梅雨の雨」      
清美

今朝 ごみを出しに行ったら、家の前の小川の淵に栴檀の木が大きく・・大きく・・
傘を広げたように 枝が四方八方に伸び、風にゆれ 木陰を作っていました。
思えばこの樹は 私が幼い頃から ここにたっていた。
小川で遊ぶ私達に 優しく傘になってくれていたように思う・・・
亡き父が 何いつも行っていた言葉に
栴檀は双葉より芳しい』と耳に残っている。
幼い頃は大した意味も感じなかったのですが・・・
今朝は、 百年は過ぎていると思われる この樹の大きさと品のよさ、
何とも言いようの無い 優しさと力強さをかもし出している。
だって、私が68歳だもの!それから考えても・・
この小川の淵で 近所の人達、子供たち、白鷺 蛍 などなど・・・
色んな生き物を優しく見守ってくれてたんだなぁ〜
私はしばらく木陰に立っていました。
うぐいすが遠くから片言で「ホーホキェキョ」と鳴いています。
まだ子供なのでしょう・・・心が優しく成れたかな・・?
家族で言えば 栴檀の樹はお父さんですね。
お母さんは家の中での太陽でしょう。皆に平等に光を当てて育てますから・・
子供、孫・・人間として大きく優しく育て!と日々祈ってます。
そして、世の中の為に少しでも役に立てれば!と・・・
『子を育て 仕事合間の 文机・・・』   清美。

昨夜、友達の恵子さんと『蛍』を見に行きました。本耶馬溪町屋形という所。
久々に見る蛍は・・・川の方から山へとピカピカ光って消え
又、光る。
繰り返しながら だんだんと数が増え、蛍は雄が光って雌を呼ぶのです。
なんだか とても美しい光景ですが、私の心の内は とても淋しさを感じたのです。
まるでクリスマスの電飾の様で、沢山の綺麗だね!と言ったものの・・・
後ろを見ると・・・人・人・人!!
いつの間にか沢山の見物人が集まっていました。
皆、静かに「綺麗ねぇ〜」と言うだけ。
写真を撮っている人も居ました。
よく考えると光ってる間がとても短いのですね。
一番星が出る頃から 一時間くらいでしょうか・・・?
いつの間にか・・また、元の闇!!
ほんの短いラブコール。可哀想よね・・・
いやいや!こんな感傷に浸っている場合では無いですよね!!
これからは、鱧・鱧・鱧!の季節ですよ!!
今年は鱧の新メニュー登場!です。
この梅雨の水をくぐって美味しくなる『鱧』
若い人にも受け入れて頂けるように・・考えました。
中津の鳥のから揚げ!に 負けられませ〜ん!
『鱧 つやつやコース・夏の陣』を発表いたします。
コラーゲンたっぷりのつやつや寄せ・鱧のシャブシャブ・寿司・などなど・・・
OBSカボスタイムで放送します。(6月13日・土)
老若男女 どなたでも満足頂ける このコース。
一度お召し上がり下さい!

『いつか来て いつか去り行く 蛍がり』・・・清美。

大成功!!ご報告がおそくなりました。
『第4回・豊前中津の音頭大会』と『ドラマ黒田節(オペラ)』の二部構成の舞台
見事に演じる事ができました。
我が人生 最高の一日となりました。
私は「NPO法人豊前の国観光ネットワーク」の会員であり、「黒田の会」のメンバーであります。二つの会の指導(踊り)をさせて頂いております。
そんな関係上、全員で出来る(出演など)事!他にないオリジナリティな舞台を毎年やって居ります。
今年は…今までの狭い会場から、大きい中津文化会館にチャレンジしました。
一部には 音頭大会 二部に 黒田節をオペラで表現してみたい!とひらめいた事がきっかけで、子供達も参加してのステージを作りたいという思いが叶い、オペラの先生の協力を頂くことが出来ました。
毎週々〜稽古を重ねました。色んな議論も交わしながら…完成!!
4月19日(日)当日!!
客席にお客さんが居るかしら…?観て頂けるかしら…?などなど…
ステージ裏でドキドキ!!
なんと!なんと!満席になったのです。(約800人!)まるで夢の世界でした。
博多から、黒田節のモデルと成った母里太兵衛さんの子孫 十八代目 母里忠一氏が演武で参加。姫路からは 黒田顕彰会の新福さんの唄・神澤さんの舞踊で参加。今までの交流に感謝です。今回の舞台の成功の裏に 忘れてはいけない事は!沢山の方々のご理解とご協力を頂けました事を感謝いたします。
今回の舞台の益金は…私たちの基本理念となります観光事業に役立てて頂きたいと考えています。中津市だけでなく、近郊の地域と手を繋げ、今後の活動にいかしていきます。
19日の当日 800人の人が中津市にいたと言うことは…どんな形か分かりませんが、何らかの形で町に潤いがあったことと信じています。