「三斎蛸・石垣しゅうまいは いかがですか?」
鱧・蛸・イカ・ベタ・鯒・アサリ…などなど。
中津地方の前に広がる周防灘は豊饒の海!!
嘗ては、ふぐ漁も盛んで 氷詰めにし鉄道の貨車で
博多や大阪・東京など遠方まで送っていたと聞いています。
船町、船場町、古魚町、新魚町、魚の辻…と、
海にちなんだ町名や地名が今も城下町の一角にある。
処で、その昔。漁民たちは殿様の名のついた蛸壺を大事にし
蛸壺漁をしていた。その名は『三斎蛸壺』
三斎とは、戦国武将で利休の七哲の一人と言われる文化人。
細川忠興の事。
関ヶ原の戦いの後、息子・忠利と共に
京都丹後の国 宮津から 豊前の国 小倉、中津に移り三十年余り領有した。
その後 忠利は熊本。忠興は八代に。
忠興は中津の漁民の事が忘れられず 赤土で焼いた蛸壺を一千個送った。
と言い伝えられている。その蛸壺がこの中津の地方で活用されたそうです。

そんな昔話を思い出して…新メニューを作ってみました!!
『三斎たこ 石垣しゅうまい』味わってみてください。
ガラジャ婦人の夫 忠興(三斎)の顔が浮かんできそうですよ。
歴史ロマンを隠し味にしてみました。